今回お話しするのは
プライベート・ライアン
アパム
のお話です。
(引用している画像等は全て映画「プライベート・ライアン」に著作権があります。)
アパムという人物を紹介する為、一部引用させていただいております。
アパムとは何者か?
アパムは映画「プライベート・ライアン」に登場するキャラクターで
~プロフィール~
名前: ティモシー・E・アパム
出身: ボストン
階級: 伍長より下の五等特技兵
使用銃: M1ガーランド
特技:フランス語&ドイツ語
実戦経験: なし
といったプロフィールです。
現地での通訳を担当するのを主な作業に従事するので「特技兵」となります。
彼に対する評価の多くは
- 役立たず
- 臆病者
- 優しい?
などであり,勇敢といった評価はそこまで多くないです。
特に映画の最後のシーンを見ている方は、こういった評価を持つでしょ。
「アパーム!弾!弾持ってこーい!!」の元ネタ
よくTwitterや動画のコメント欄で「アパム!!弾持ってこい!!」といったコメント欄があります。
AAで出てくる「アパーム!弾!弾持ってこーい!!」がこの映画で、彼の行動に対する発言です。
これは
といった背景があります。(この時、アパムが銃弾を運ぶ係であった。)
その為よく「弾薬に関するネタ」が出てきたときにはこの語録が出てきます。
アパムは本当に無能か?
という話は少し難しいですが、この答えはあっていると思います。
通常の戦争映画ではこういった新兵は最後に覚醒して大活躍する・・・・はずです。
ですがアパムは活躍するどころか戦場に振り回されてしまい、僕たち視聴者が希望する動きはしていません。
だから「アパムは無能だ」といった評価が下されてしまっています。
ですが、アパムが象徴するのは「戦争に放り込まれた一般人(海外では中立性と言われている)」であり、「兵士」ではないんです。
最後のある瞬間まで「一般人」であった彼が、兵士のように活躍しないのは当然と言えば当然なんです。
兵士のように戦うことが出来ないアパムは傍から見れば動けない無能
こういったことを踏まえて、アパムが無能というのは正しい評価と言えます。
アパムを劇中で追ってみてみる
ではそんなアパム伍長を劇中の時間軸で順番に追っていき、その時の彼の行動や考え方も一緒に見ていきます。
- アパム加入時
- 村での戦闘
- 教会での大尉との会話
- ドイツ軍基地での戦闘
- 捕虜とのやり取り
- 最終戦闘
大まかに6つの順番で彼を追っていきます。
アパム加入時
まずノルマンディー上陸作戦が成功した後からアパムは登場します。
「ライアン救出作戦」を言い渡された直後、「ドイツ語を話せる兵士が必要」ということで「アパム伍長」が新たにチームに参入。
この時のアパムは、「射撃経験はあるが実戦経験はない」と判明。
さらに、作戦に同行する為に荷物に色々と持っていこうとしています。
- 大尉が会議中に話しかけたり
- 戦闘に不要なタイプライターを持っていこうとしていたり
明らかに戦争そのものを知らない新兵・・・・もしかしたらそれ以下の兵士といった印象です。
道中でのアパムの行動や考え方
その後の道中も同僚に話しかけ、
と夢を語ってます。
第一次世界大戦時にクリスマスの奇跡が起きていますが、それに近い考えでしょうか。
この部分でのアパムの戦争に対する考えが以下のように伺えます。
さらに隊員が任務に対する不満(1人を救うのに8人も必要なのか)を言った時。
という兵士の心構えを遵守すべきと、少々堅物な印象も見受けられます。
教本で学んだことをそのまま正しいと思い、現場に出てきた新兵そのものですね。
村での戦闘1(スナイパー)
アパムはこのシーンでは特に戦闘に参加していません。
基本仲間の後についていく形で行動し、発砲することもありません。
また、このシーンは「敵スナイパーの恐ろしさと、戦争の現実」を知ることもできます。
民間人救出した時に味方が狙撃された時も「そんな…」といってました。
これは考えすぎかもしれませんが、この時アパムは
「敵に良心がある」といった、甘い考えがあったからこその発言なのかもしれません。
実際、その後に敵スナイパーは撃たれた兵士の行動を見て少しうろたえます。
ただ、それでもスコープを覗くのはアパムと違い、「敵は敵。撃ち殺さないとこっちを殺す敵」と分かっているからでしょう。
村での戦闘2(眼前の敵との対峙時)
犠牲を払いつつも、スナイパーとの静かな戦いが終わり建物で少し一息・・・・・・。
と思ったら壁が崩壊し、中にいたドイツ兵たちと一色触発に。
お互いに銃を撃てば大惨事になるなかでアパムは・・・・
他の兵士たちは銃を構え、お互いに通じることのない言葉で「銃を下ろせ」と言い。
アパムは銃を抱きかかえつつ、必死にドイツ語で「銃を下ろせ(多分)」で説得をしています。
「お互いに投降はできない」といった状況下で、アパムだけが必死に平和的に訴えているのは・・・・。
教会での休息時、戦争への見方
ドイツ兵との睨み合いが終わり、その日は教会で休息をとることとなった。
そこでアパムは、
この言葉はエマソンという哲学者?の方の言葉らしく、「戦争を少しでもいい方に見ようとする」ためだそうです。
これは彼自身の考えなどではなく、他人の言葉や考えをそのまま受け取り、それを戦争に当てはめているだけですね。
そもそも、戦争から得られる経験って何でしょうか?
戦争終結後はPTSDなどで苦しみ、多くの兵士はそもそも終結前に戦死します。
現代の日本人で戦争を経験した人は、傭兵などを除きほぼいないでしょう。
しかし、そんな僕たちでさえ「戦争は人間の醜さを出し、それを見ることになる」ってことは分かるはずです。
そんな中で、「人間としてより高みを目指せる」と言える人間なんているはずがないと思います。
アパムは戦争を知らない人の発言、「戦争を高尚なスポーツか何かとして捉えている」と捉えれます。(時代背景的に大規模な戦争といった経験を人類がそんなにしていない・・・ってのもあるかもしれませんが)
ドイツ軍基地での戦闘
ライアンを探す道中、ドイツ軍の基地を急遽壊すことになりました。(後続の味方の為)
ここでのアパムの行動は以下のようになります。
- 後方ですぐ動けるように狙撃兵のジャクソンと交代
- 銃撃や爆撃に怯えてしまい、動物の死体の影からスコープで覗く
- 戦闘終了後、治療の為に荷物を急いで運ぶ
そもそも狙撃兵が前線に出て、アパムが後方というのはどうなんでしょう・・・・。
特に援護するわけでもなく、スコープで覗くだけ。
ジャクソンが後方ならスコープを覗き、引き金に指を置いていたかもしれません。
とはいえ、その後急いで荷物を届けに行けているのは流石というべきか。
戦闘後、衛生兵ウェイドの治療時には何もできず、言われるがまま水を渡して傍観するしかなかったですね。
捕虜とのやり取りから見るアパムの捕虜への見方
そしてウェイドを撃った?(捕虜のドイツ兵は撃ったことを謝罪していたので撃ったのかも)ドイツ兵捕虜をどう扱うかという話で,アパムとその他兵士達との考えの違いが出てきますね。
- アパム: 捕虜を撃つのは違法だ!協定で捕虜は撃つのは卑怯だ!
- その他: 仲間を撃ったんだ!もし逃がしたらまた銃を持って襲ってくる!
アパムはあくまでも「人道的・条約に従って捕虜を扱うべき」と、必死に命乞いする兵士を見て殺してはいけないと訴えていますね。
ここでも実戦経験のないアパムが戦争をいい方向にしたいという面が出ていますね。
また、ここではアパムと敵兵士が仲良く談笑しており、少しだけ友情が芽生えたのではないのでしょうか?
最終戦闘での彼の行動
最後の戦闘は言うまでもなくアパムが「給弾兵」として活躍するはずでした。
しかし、ドイツ側の戦車の猛攻によりそこまで活躍できませんでした。
それどころか
にまでなっています。
こういったアパムの「行動」が臆病と言われ、映画を見ていた人たちの苛立ちを加速させていったといわれています。
その中で,ドイツ軍基地での戦闘で逃がした兵士をアパムを見つけてしまいます。
そして連合軍の救援でドイツ軍が撤退するなか、アパムはドイツ兵に銃を突き付けています。
その時の会話は
アパム:「手を上げろ!武器を置け!」(繰り返し)
ドイツ兵:「俺はこの兵士を知っている。俺はこの男を知っている。」
アパム:「黙れ!」
ドイツ兵:「アパム」
アパムは少し動きを止めた後に彼を撃ち、それから残りの兵士に「行け!消えろ!」と話しています。
彼はこのシーンで映画内で初めて銃を発砲し一人を殺害しています。
そして、覚えていますか?彼が書きたいと言っていた本の中身。
ドイツ兵は恐らくアパムに友情に近い何かを持っていたのでしょう。(そこまでいかないにしろ、知り合いにはなっています。)
そこから友情は生まれるはずなのに、アパムからそれを手放したわけですね。
最後にドイツ兵を撃ったアパムの意味
なぜアパムは最後投降したはずのドイツ兵を殺したのか?
このシーンだけを見ると、
といったアパムの矛盾に混乱すると思います。
ただ、アパムの「最初の考え方」がこの最後の戦いで完全に変わってしまった。
と考えると、この矛盾にはある程度説明はできます。
アパムの映画での立ち位置は簡単に言えば
です。
最初~中盤でのアパムの言動等を見れば、こう位置付けることができます。
そんな人間であっても、
- 友情は戦場では芽生えない
- 戦場で綺麗ごとは通用しない
- 正しいと思った行動が間違っていた
ある意味「正しい戦争」を知ることになります。
(決定打となったのは、最後に捕虜のドイツ兵が武器を持って戦っていた姿を見つけた時でしょう。)
このように、戦闘を通じて戦争の狂気をその身で実感し,最後に兵士として戦争に染まった。
「投稿したドイツ兵の捕虜」を撃ち殺す際に、泣くこともなかった。
そして特に葛藤することもなかった。
今までの日常で培ったアパムの戦争に対する綺麗な考えはもう存在していない
といった風に見ることが出来ます。
その他の意見・考察
アパムの意見で当時大尉が全員が殺すべきという意見の中でまた武器を取って戦う可能性のある捕虜を逃がした。
自分だけの意見で捕虜を逃がし,その結果自分のせいで大尉が撃たれたということに対する責任や罪悪感からドイツ軍の捕虜を殺害した。
コメント