”フジキセキ”とは?
誕生日:4月15日
身長:168cm
体重:増減なし
スリーサイズ:B84・W58・H82
栗東寮の寮長。
人を楽しませることが大好きなエンターテイナー。 抜群のプロポーションと時折見せる甘い言動で数多くのウマ娘たちを虜にしている。 いたずら好きな彼女の標的となった“ポニーちゃん”は例外なくメロメロに。
[スポンサーリンク]
史実のフジキセキとは?
史実のフジキセキについて簡単な紹介します。
フジキセキは1992年4月15日~2015年12月28日没の日本の競走馬です。
産まれは北海道千歳市の社台ファーム千歳。
父は「サンデーサイレンス」で母は「ミルレーサー」です。
生涯戦績は4戦4勝。
獲得賞金は1億2965万円。
勝ちレースを記載しておきます。
- 1994年 新潟競馬場の3歳新馬
- 同年 阪神競馬場のもみじS
- 同年 中山競馬場の朝日杯3歳S
- 1995年 中山競馬場の弥生賞
フジキセキは当時、サンデー産駒たちが多く産まれていた頃彼の牧場で「一番の期待馬」と聞かれた際「躊躇なく名前が挙げられた」ほど。
名前の由来は
- 富士山の「フジ」
- 奇跡、輝石、軌跡などの「キセキ」
- 富士山とキセキ、輝くようなミラクルを起こしてほしい、栄光の軌跡を残してほしい
となっています。
そんなフジキセキは4戦で引退をして種牡馬入りとなり、余生を過ごしていたが2015年12月28日に頸椎損傷で亡くなった。
実はゲート試験と呼ばれるデビュー前の必修審査には物凄く手こずって、合格に5回も要したほど。
[スポンサーリンク]
なぜ4戦で引退したのか?
フジキセキはデビュー戦から4戦負けなし、1戦目は2着に大差で勝利。
2戦目、3戦目は僅差で勝利したものの、両方騎手が全く鞭を使うことがなかったので実はもっと大差で勝利していたかもしれない。
そして4戦目ではわずか100mという距離で2馬身半もの差を作って勝利した。
この瞬発力は「2段ロケット」とも喩えられ、「過去のスーパーホースたちをも超えかねない資質を感じる。まさに”輝石”そのもの」とまで評価された。
そのまま三冠を達成できると期待されていたが、左前脚に屈腱炎が発症していることが判明した。
復帰には1年半以上も要すると診断され、馬主、生産者、調教師の協議の結果で引退、種牡馬入りとなってしまった。
もし屈腱炎を発症していなければおそらく三冠馬としてその名を残していたのかもしれない。
物凄くモテモテだったフジキセキ
フジキセキは「ウマ娘」でも色々なウマ娘を虜にしております。
実は、これは史実のフジキセキの引退後から来ていると思われます。
フジキセキは引退後、種牡馬としてスタリオンステーションで繁養されました。
ただ、繁殖シーズン途中の種牡馬入りだったが父サンデーサイレンスの代用としても人気が物凄く高く、初年度でなんと
118頭の交配相手
を集めたほどです。
さらにその後は彼の子供達の活躍もあり、フジキセキの人気はさらにあがり年200頭~250頭もの種付けを行うという人気を誇るようになっていった。
それだけの人気を集めたからこそ、ウマ娘でのフジキセキはあれだけのモテモテとして描かれるようになったんです。
彼女の言うポニーとは?
ちなみに、彼女の言うところの「ポニー」とは肩までの高さが147㎝の馬のことを指します。
基本的に温厚で頭がよく、さらに耐久力もあるのが特徴となる。
それだけ小さい馬ではあるが100m走る際、人を乗せても時速40㎞で走ることができます。
[スポンサーリンク]
終わりに
フジキセキは競走馬としての実力は三冠馬なみの実力があったけど、怪我の為に引退するしかなかった・・・・。
漫画では「家庭に入る」など茶化されていましたが、経歴を考えれば悲しいお話のように感じます。
そしてあのモテモテな感じも放牧などで自ら他の馬にグイグイ言っていたと思えば実は他の馬から来ていたと・・・・しかも100頭以上。
まさに実力のあるプレイホースといったところでしょうか。
そんなフジキセキのお気に入りの画像
「漫画」から1枚
「うまよん」から1枚
競馬グッズ?? 赤ペン、新聞・・・いえいえそれだけではありません。
大好きな馬といつもいっしょにいられる、アイテムがあります。
ターフィー通販クラブ 競馬が好き 馬が好き
コメント